日本人の持つ深い精神性はどこから?
以前にどこかで読んだ誰かの記事で、アップル創業者のスティーブジョブズが、「深い精神性を感じさせるような商品を作るには日本人と一緒に作ること」と言っていたという話が有りました。彼は日本の禅を学んでいたという話は有名ですし、日本の伝統的な建築物やモノづくりにもその様なものを感じていたのかも知れません。
では、この日本人の持っている深い精神性とはいったいどこから来ているのでしょうか?
ひとつは全てのものに魂が宿る(八百万の神々)といった信仰心に由来していると思われます。それは一般的な生物(動物や植物)に限らず、山や川や海、更に石やモノに至るまで魂が宿るという心、縫い針の魂を弔う針塚や、貝の魂を弔たであろう貝塚は有名です。それは自動車や家はもちろん、食器や工具などの日用製品にさえ魂が有るのです。もちろんそうであればPCやスマートフォンに至るハイテク製品においても魂が宿ると考えられますね。
もう一つは食事をする時の「いただきます」の挨拶に代表される、生きていたものの命を「いただく」という感謝の心、自然に対する敬う心であると思います。更にご先祖様に対して、私たちの命をつないでくれた、そしてご先祖様の魂が見守ってくれていると信じる心、そういった自然と祖先によって私たちは生かされているのだという信仰心、更に人は死んでも生まれ変わるという輪廻転生をごく自然に信じていることも、日本人の深い精神性に結びついているのでしょう。
加えてもうひとつは、西洋的な勧善懲悪では無く、東洋的な陰陽の考え方、全てのものは陰(悪)と陽(善)という2つの要素を併せ持っているという考え方が、更に日本人の精神性の深さにも繋がっているかも知れません。例えば日本の映画やアニメなどのキャラクター等を見ても、悪者や敵であっても優しいところや良いこころをチラッと見せたりするのは、そんな陰陽的な考えを反映していて、より深いキャラクター性を作り出します。
ただ残念なことにスティーブジョブスが感じていた日本人の深い精神性は、ここ最近の日本製品にはその精神を見る事が少なくなって来た様に思えます。価格だけでなく多くの製品にて他国ブレンドのものに機能や使い勝手でも後れをとり、更にそのデザイン性でもパッとしない、かって有った強烈な存在感や美しさ、ものづくりに込められた「魂」を感じさせる製品やサービスというものが失われつつあるのではないでしょうか?
私が日本を出てアメリカに渡ったのは1998年で、当時はバブル時代の80年代よりは元氣は無くなったとは言え、まだ日本の企業や人々に活力が有りました。アメリカへ来て一旗揚げてやろうとか、何かを学んで成長しようとか、よく分からないけど何か挑戦してやろうという人に何人も会いました。ただそれが時間が経つにつれ、日本の企業も人も冒険する人も減り、かっては家電といえばソニーやシャープ、サンヨー、パナソニック等そうそうたる日本企業が名を連ねていましたが、今はその影もありません。こちらで見る家電製品のほとんどは韓国系や中国、台湾系のブランドです。
幸い大手ではまだトヨタやホンダ、日産(半分フランスメーカーですが)という自動車メーカーは、アメリカでも何とか頑張っています。また日本の漫画やアニメ等のポップカルチャーにおいては、普通にこちらの本屋さんに大きなManga(マンガ)コーナーがあるほど、若者を中心にほぼ市民権を得ています。更に日本製の文房具や包丁などの刃物類はその品質の高さに定評があります。
日本は農業製品や工業製品においても代々モノづくり立国です。それはたぶんお箸を使う事で培われた日本人の持つ手先の器用さと、代々受け継がれた深い精神性、そして常に学び、改善と挑戦を続けて来た賜物の様に思います。これを未来の世代へつないでいくためには、私達が改めて、全てのものには魂が宿っているという心、そして自然とご先祖様に感謝し敬う心、そして全てのものには陰陽(光と影)の両方を併せ持っているのだという心を思い出すことが大切です。
それと同時に特に今必要とされているのは、常に学び成長していこう、そしてそのためにより大きな視点に立ち、新たなものに挑戦していこうという勇氣なのかも知れません。かって先人たちが好奇心旺盛に世界の事を学んだ様に、大海原に漕ぎ出して世界中へ向かった様に、道のものに向かう勇氣というものが最も今の日本人には必要な様に思います。